●状況と実践


番組でのプレゼントに「ラジオ」はどうかという話になる。


ラジオを聴く人口が減っているという危機感を感じている、我々、送り手側は、よくそういうことを考える。
ただ、すでにラジオを聴いてくれている人にプレゼントしても仕方がないのではないか、まだラジオというものをろくすっぽ聞いていない人の手に渡るほうがいいのではないか、でもそんなのどうやって? という話に流れる。


その、「ラジオを聞いていない人」に対してラジオが「ラジオ」を贈る方法というパラドックスもさることながら、正直なところを少し言うと、ラジオをプレゼントするということに私はあまり関心がない。
それって、要はハードウェアのことでしょう、という気がしてしまうのだ。
それよりも、我々はソフトウェアのことを、つまりはどんな番組を作って届けるかということを考えたほうがいいんじゃないかということだ。


ハードのことも気になるし、気に掛けなきゃなというのはわかる。
ただし、そんな話は−−ラジオというメディアを取り巻く状況とか情勢みたいな話は−−みんなしたがるのである。
それこそ「したり顔で」、つい、してしまう。
なぜなら、他人事だから。
私にはそう思えてしまう。
どっか「よそごと気分」で話せるから、その手の情勢分析論みたいな話に傾斜していくんだと思う。


レコード業界の人が「最近、CDが売れなくてさ」みたいなセリフを口にしたがるのと基本は同じだ。


以前、サンボマスター山口隆が、ライブのMCで、そういう風潮に異を唱えていた。
「それがどうしたっていうんですか。んなことより先に、やることはいくらもあるでしょうが!」
そう言って彼は、ギターをかき鳴らしていた。


もしラジオが、全国の全家庭、津々浦々にまで行き渡ったとしても、つまんない番組しかやってなければ、早晩誰も聞かなくなるだろう。


選曲の重要度の話を、演出の構えの話を、構成の妙についての話を、それらもろもろ、番組づくりの話をするほうが先決じゃないか。
明日の状況論より、今日の実践論。
自戒を含めて、そう思う。