●自転車は下駄の延長に非ず


夜中のラジオで自転車談義をすることに。
しかしながら、“自転車”なるものに対する捉え方の違いが、いい具合に多角的に浮かび上がるということには至らず、不完全燃焼に潰える。


個人としては、「え、そうなん? 自転車ってそうなん?」というような、なにかしら発見がある展開になるといいなと思っていた。
それは、かつて自分が驚いた「自転車ってそんなに遠くまで行くことのできるもんなんや」と感じたことなどにつながっているのだが、どうもそうはならなかった。
むしろ、「そうそう、あるある、自転車ってこうやんなあ、そうやんなあ」という万人の公約数的既知感を確認するのに留まった印象。
ま、最近のメディア(ラジオ・テレビ、双方含む)が用いるアテンションの方法論は、ほとんどが公約数の確認・肯き合いだけどね。
と、これは余談ながら。


発見を見い出すことは簡単なことではない。
だが、「それなんなん?」という好奇心と、「これはひょっとしてそうか?」という直観と、「それってこういうことかな?」と論理立てて推論する知性があれば、それほど困難なことではないはず。
あと、自分のなかだけでいろんなことを理解したり整理したりしようとしなければ。


いろんな捉え方があっていいというのは大前提。
しかし「人それぞれ」なんて言い草は、往々にして議論にはなんの足しにもならないエクスキューズ。
なので、あえていわせてもらうと、自転車は下駄の延長ではない。


始まりはそうであっても、変化してくる。
それが自転車乗りになることの醍醐味である。
つまりそれが、“自転車体験”“自転車開眼”ということである。
そういう話をしようじゃないか、と思う。


音楽でいうなら、「この曲を聴いてわたし癒されました」とか「オレ、勇気をもらいました」とか、そんな話、なんぼしたかてしょうないやん。
そんなんじゃなくてよ、ロック体験とかラスタ開眼とか、そういう話をしようぜってこと。


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